2018年12月1日土曜日

小さな水彩画とニューヨークのMomo

ニューヨークに40年近くお住まいになっているT.Fさん。Tさんと繋がったのはTさんが偶然私の絵を見たFacebookでした。一年ほど前、帰郷のさいに「本物の絵を見たい」と、わざわざアルティオギャラリーや個展会場に足をはこんでくれていました。

そして先月。Tさんから「自分がニューヨークで一緒に暮らしている犬を、「ちび絵」(6.5センチ四方に描いているアルティオ定番の小品です)で描いてくれませんか?」とのオーダーが。もちろん快諾。名前はMomoさん。

先般、再度帰朝したタイミングで無事お渡しすることができました。
Tさんは「必ずニューヨークに来てください。予定をあけて古山さんが行きたいところを案内しますから」と嬉しい言葉をかけてくれ、固い握手で分かれました。
* *    * 
その数日後、某大学の教授ご夫妻がアルティオ来訪。ご夫妻はギャラリーの常連さんです。ふと旦那さんが「古山さん、今、一番旅したい国はどこですか?」
すっと頭に浮かんだのは、ニューヨークに暮らすTさんとMomoでした。「ニューヨークかな、、、まだアメリカにいったことがないし、、、」と答えると、「え!?先日、ニューヨークに行っていたのですよ!僕らも若い頃アメリカ暮らしが長かったけれど、絶対おすすめ!パワーアップしますよ!」

TさんとMomoさんと一緒に歩き描くニューヨークは観光とはひと味違う町が見えてきそう。6.5センチ×6.5センチという小さな水彩紙に描かれたMomoさんの「ちび絵」がニューヨークに繋がっていた、、、なんて、なんか自然でいいなあ、と思う昨今なのです。

「ちび絵Momoさん」をお渡ししたタイミングは、実はTさんのお母様の四十九日法要での帰国の時でした。そんな中、アルティオまで立ち寄ってくれたことに心から感謝申し上げます。

2018年11月25日日曜日

バイタルネット様2019カレンダーが完成

おかげさまでイラストレーターとして絵柄に関わらせていただいたバイタルネット様2019カレンダーが完成しました。
仕事は本当に目に見えない繋がりでやってきます。この仕事もそうでした。
私は毎秋、仙台藤崎百貨店で個展を開いていますが、はじめて個展開催したときのギャラリー責任者Sさんのお声掛けがあって今に至ります。
Sさんは数年前に定年を持って退職しました。そのときに名刺のデザインを相談されたのですが、名刺のキャッチイメージに、Sさんと私を繋いでくれたポルトガルロカ岬の水彩画を添えました。
今年の頭、Sさんがアルティオに立ち寄ってくれた時、
「古山さん、仕事、仕事!」
話を聞くと、旧い付き合いの印刷会社副社長にプライベートのハガキ印刷を頼んだとのこと。その折差し出したプライベート名刺を見た副社長が「カレンダーの仕事があるのだが、この岬の絵を描いた人に頼めないだろうか、、、」
そんなご縁でいただいた仕事でした。
実はSさんは書の達人でもあります。そこで月の和名を揮毫していただきデザインに組み込む案を印刷会社にプレゼン。クライアント様からも了解いただいて、初のコラボレーションが実現したのでした。
フリーランスのイラストレーターがどういうルートで依頼をいただくか?ネット全盛の時代に置いて、もちろんネット発信は欠かせません。わたしもウェ ブサイト、facebookやinstagram、note、業界紙が提供するアーティスト紹介サイトなど、可能な限り使っています。
その重要性はもちろんのことですが、ここ数年、それ以上に「リアルな人間としての繋がり」が以前にもまして大切ではないか、と思うようになってきています。
絵が刷られた小さな名刺が、手から手へ渡されたことによって生み出されたカレンダーです。
もしどこかで見かけましたら、そんなことを思い出してもらえると嬉しいです。
Sさん、そしてロカ岬の絵を心に留めてくれた印刷会社の副社長に心から感謝申し上げます。

2018年11月19日月曜日

受け取ったら廻す

この一週間、とにかく人と会う七日間でした。
なかでも濃密だったのが11月16日金曜日でした。
朝から夕方まで、新居へ納める絵の打ち合わせや、アルティオで絵のセレクト立ち会い、地球の裏側からいらしたお客さまとランチ、と、次々人と会う一日でした。一日の終わりは定例となった「おはなしの部屋△」でゲスト・書家大塚耕志郎さんを招いて11名のお客様と濃密トーク。
ネットでのやり取りが多い昨今ではありますが、やはりリアルな対面にはかないませんね。その金曜日お会いした方々は、みなさん,見事に生き方に一家言持つ方々ばかり。自分の小ささを十二分に味わい尽くしました。ここで思ったわけです。「アトリエギャラリーという場を持てたことで、そんな方々とお会いできるんだ…。」
私たちは、描くことを通して出合った素晴らしい方々から、どれだけたくさんのいい波動をもらっているかわかりません。それをくるくると還元して行くのが「お店」なのです、多分。
おはなしの部屋△のゲスト大塚さんが、終わった後に、「アルティオは文化のオアシスのような場所ですね」という言葉をくれました。有り難いことです。
そう感じてもらったのは、多分にいままで私の絵を通して知り合った、お客様や仕事の枠を越えた友だちの「良きエネルギー」が、別のかたちとなってギャラリーから外へと循環しているからなのだと思います。間違いなく。
これからも、描くことを通して、くるくると循環型で生きていきたいです。
今日アップした絵は、絵のセレクトにいらしてくださった方が.取引先様へ贈るために選ばれた、ポルトガルを描いた透明 水彩8号作品。
この絵も、目に見えないかたちでなにかを廻す手助けをしてくれるといいな。

2018年11月8日木曜日

ウェブサイトに水彩画を追加

ウェブサイト・atelier ARTIOのギャラリーページに古山拓水彩による東北風景画を6点追加しました。

「暮らしの思い出」を水彩画で残す

お世話になっているお客様Hさんが、有り難くもお得意様Sさんへ私の作品を紹介くださいました。そのことがきっかけでオーダーをいただき、福島県川俣町へ取材で行ってきました。
転居することになったのを機に、今住んでいる家から見える風景を、水彩画として描き残してほしい、とのオーダーでの取材でした。もちろんそのお得意様Sさんと私が会うのははじめてです。
紹介くださったHさんの運転するクルマで、お得意様の家へ。着くと紅葉が見事。
「暮らしの思い出」を水彩画で残す。それはただ風景水彩画を描くことではないんですね。思い出を共有して描くのです。HさんとSさん、そして娘さんと会話を交わしつつの半日は、私もわずかですが「Sさんの思い出」の仲間入りすることができました
*  *   *
思い出は様々なかたちで蘇ります。
今朝、窓を開けたときに吸った空気は、一瞬かつて旅したイギリスのスターリングという町で泊まった旅籠の朝を思い出させました。そしてスターリングで描いた絵を見ました。すると忘れていたスターリングでの思い出が次から次へと心に浮かんできました。
空気から蘇る思い出もあれば、水彩画が呼び起こす記憶もあるのですね。
絵を描く仕事で人様の思い出に関われること。その有り難さに感謝しています。

絵はスターリングの旅籠から描いた一枚です。夫婦がホストでしたがレンタカーのバッテリー上がりで焦った私を笑顔でサポートしてくれたり、とても素敵なオーナー夫妻でした。

2018年11月5日月曜日

第二回アルティオ教室展はじまります

アルティオマンツーマンレッスンに通う13人の受講生様の水彩画力作(各2点・26点)がそろいました。第2回アルティオ教室展、明日からはじまります。
13名26点の作品を、バランスや流れを考えながら狭い空間で展示するのは、そう一筋縄では行きませんね、終わったのは夜八時でした。

今回は「私の好きなうつわ」という共通テーマも設けましたが、これがなかなかです。個性豊かで、思わずにっこりしました。

11月6日(火)から11月11日(日)まで、アトリエアルティオにて開催しています。どうぞぜひ足をお運びください。

会場/仙台市青葉区立町19-20-1F アトリエアルティオ 
OPEN/11:00〜18:00(土日は17:00クローズ)

2018年11月3日土曜日

広島の旅レポート・一日目

広島原爆ドーム=宮島=錦帯橋=竹橋=尾道=大久野島=鞆の浦……10月27日から11月1日まで5泊6日、妻と2人で広島方面に旅してきました。広島は人生二度目の旅になります。一回目は30年前1988年。新婚旅行で山陽に旅した時に尾道を訪ねています。
奇しくも今日11月3日は結婚三十周年の日。
今日から何回かに分けて旅日記を綴ります。
◆広島の旅一日目/10月27日-広島・原爆ドーム~平和記念公園◆
今回のきっかけのひとつは、原爆ドームを訪ねることにありました。今までポーランドのオシュフェンチム(アウシュビッツ)やベルリンの壁を訪ねたことがあります。歴史的負の遺産は言葉をもぎとりました。しかしヒロシマはまだ見ていなかった。
初めてリアルに向き合った原爆ドームは、言葉をもぎ取るだけではありませんでした。写真では何度も見て、テレビ映像でも毎年流れて知ったつもりになっていましたが、目の前に立つ、くずおれかけた遺産は、自分に「様々なことを話しかけて」きました。
「ほう、描くんだな?いいよ、でもな、描くならただ描くのはやめてくれ。オレは休みたいんだ。けどな、一瞬で消え去った数えきれない命の支えでなんとか起きて立ってんだ。上っ面だけ描くならスケッチブックをしまってくれ。」
…鞄からクロッキーブックを引っ張り出す時、そんな声が聞こえたのは、決して気のせいではなかったように思えます。
広島に着いた一日は、原爆ドームと平和記念公園で終わりました。5時間ほど、半径数百メートルのところにのみいたことになります。予定では丸木伊里の美術館展示も見たいと思っていましたが、エネルギーが持たなかった。
「原爆ドーム前」の市電の停留所に立つと、ふと目に入ったのは「広島港行き」の文字。思わず同行の妻とこう話していました。
「港まで市電で一本でいけんだなぁ。海、見にいぐが」「んだね、そうしよ」
広島初日の終わりは港を染める夕焼けでした。
人間は遠い昔、海から来ました。心に理解を越えた何かを抱えると海に帰りたくなるのは、本能なのかもしれません。
ヘタなラフスケッチですが、奥歯をギリギリしながら描いた原爆ドームです。どのような絵にするか、今から考えます。